人気漫画家の連載コラム! 「全身貞操帯」「触手エステ」──アダルトライトノベル「オシリス文庫」の個性的なプレイやテーマをカレー沢薫先生が切れ味するどく語ってくれます! あなたの知らなかった性癖が花開いちゃうかも!?
(注:コラム内でオシリス文庫の刺激的な挿絵が登場することがあります。周囲にはお気をつけください)
「奴隷」
なかなかセンシティブな言葉である。
ちなみにセンシティブの意味はよく知らない、使いたいから使った。
現代では「奴隷制度」というのは悪しきもので、口に出すのもはばかられる言葉になりつつあり、子どもが「うちも、まさよし君ちみたいに性的な奴隷がほしいよー」などと言ったら良識ある親なら「そんな言葉使うんじゃありません! あそこはお父さんが家政婦さんを愛人にしているだけです!」と叱るところである。
しかし過去にそういうものがあったのも事実であり、その事実から目を逸らすのもいかがなものかという話である。
そして人間の中に、人を従属させたいという願望がないと言ったらウソであり、口には出さずとも性的に奉仕する奴隷を持ちたいという欲望を持っている人もいるだろう。
だが当然、実際にやるわけにはいかない、よってエロ創作には「人間を奴隷として扱う」というテーマのものが少なからず存在する。
リアルでやってしまわないために存在するフィクション、とも言えるが、そういう主張には常に「真似する奴が出たらどうする」という物言いがワンセットである。
前に紹介したようなテレポートフェラとかを真似できる奴がいたら逆にすごいが、時にフィクションが「そんなことリアルはんにされたら、こちとら商売あがったりですわ」と嘆かざるえないようなことが起こるのが現実である。
真似する奴、あまつさえそれを超えてくる奴がいないとも言いきれないし、フィクションならなにを描いてもいいのかという議論も尽きない。
このように、創作と倫理の相性は、不良と生徒会長BLの1話目のように最悪である。
さらにBLのように徐々に距離が…ということもなく、平行線どころか末広がりに距離が離れていくように見えたが、おそらく今後は創作の方が倫理に寄せる方向になっていくと思われる。
日和った、とも言えるが、過激なことを描けば面白いというわけでもない、むしろ倫理観を保ちながらどう面白いものを作るかが作家や出版社の腕の見せどころとなっていくだろう。
オシリス文庫作品もそんな「倫理は逸脱せずにエロく面白いものを世に出す」ことをテーマにしているのだと思う、この連載でもちょっと不適切な表現をすると執拗な赤が入るのだから間違いない。
そして今回紹介するのは『よくわかる奴隷少女との暮らし方』という作品である。
おいおい「奴隷」とか、オシリス文庫様ともあろうお人が、腐ったバナナでも食ったのかというようなタイトルだが、もちろん奴隷少女が性的にいたぶられる話ではない。
だからと言って、心を閉ざした奴隷少女の心と体を主人の手作りスイーツで癒していくような話でもなく、ちゃんと性的に奉仕する用の奴隷の話である。
まずこの『よくわかる奴隷少女との暮らし方』はファンタジー作品だ。
ファンタジーのいいところは、まずなにはなくとも「触手」を出せる、次に「女騎士」を使える、そしてそれらに大きく引き離されて「独自の文化」を適用できるという点である。
この作品では「奴隷」というのは国から許可を受けた奴隷商人が、昼間から堂々と売買しているカジュアルな存在ということになっている。
さらに「奴隷」という言葉を陰惨にしている最大要因である「酷い扱いを受けている」というのがない。
奴隷はモノであるが、所有者は国であり、主人は金を払って奴隷を借りているにすぎず、国のモノに無体(むたい)をすると国家権力のお世話になってしまう。
自由に扱えないならもはや奴隷じゃない、とご不満な方もいると思うが、もし奴隷をぶん殴りたいなら殴っても大丈夫、むしろ嬉しい奴隷、鼻フックをしたいなら特技欄に「鼻フック」と書いてある奴隷を買うなど、事前に話し合って自分の希望に合致した奴隷を買うシステムになっている(編集部注:こういった特殊なプレイに関する取り決めのことを作品内では「特約事項」と呼んでおります)。
つまり風俗みたいなもので、嬢とのプレイを買うことはできるが、店のルールや嬢の人権を侵害する行為をすれば通報されるし、鼻フックがしたいなら鼻フックOKの店に行け、というのと同じだ。
主人公の男性「ゴーシュ」は、縁談がまとまり近々妻を迎え入れる予定なのだが、今まで商売に精を出しすぎて女性経験がない、童貞である。
突然だが、この主人公ゴーシュ、好きである。
大柄で強面(こわもて)、高齢童貞、真面目、そして真面目ゆえに若干天然、俄然、盛り上がってきた(主に股間が)。
あまり「棒側がドストライクです」と力説しても、読者の興味をひけないと思うのでここまでにしておくが、私と性癖が似ている人はぜひチェックしてみてほしい。
このゴーシュが、新妻を迎え入れるのに夜に粗相があっては失礼、という動機で練習のため愛玩用の奴隷を購入するところから話は始まる。
どうしてそうなった、という発想のように聞こえるが、この世界ではそれが珍しいことではないのだ。
ゴーシュに買われた奴隷「レイナ」は、成人しているが見た目は文字どおり「少女」で胸も控えめ、性知識は仕込まれているが、新品であり、どうせ妻も処女なのだからその方が都合がよかろう、ということで購入された。
ちなみにこの世界では「奴隷が床で飯を食おうとしたらテーブルで食うようにすすめる」などの「奴隷マナー」がある。
おそらく、現実でクソビジネスマナーが存在するように「クソ奴隷マナー」を作りだして儲けようとする輩(やから)もいるに違いない。
肝心の奴隷との「練習」だが「とにかく股間は隅々まで洗え」「相手の内臓を素手で触る覚悟で手は清潔にしろ」と意外とマジな初心者レッスンである。
さらに、エロ創作に出てくる「処女」というのは、痛がるそぶりは見せるもだいたい挿入から3秒ぐらいでイチモツのよさをわかりはじめる、という学習能力高すぎ下半身を持つ者が多いが、レイナとゴーシュの初夜では「挿入だけで痛くてどうにもならんので、本日はここまで!」となる。
エロ創作で「ダメな時は退くことの大事さ」を教えてくれるというのはなかなか斬新である。「よくわかる」という学習漫画みたいなタイトルは伊達ではなかった。
もちろんそのあとはふたりとも慣れてきて、リアルなだけじゃないエンタメセクロスもしていく。
ちなみに奴隷にも種類があり、レイナが愛玩奴隷になったのはその潜在的ドスケベを見込まれたからである。
最初は男性との実戦に慣れなかったレイナも徐々にその才能を開花させ、自主的に早朝バズーカならぬ起き抜けの早朝フェラチオをするといった、奴隷として殊勝なのか、ただの痴女なのかわからぬ行動にでてくる。
しかし、カワイイ奴隷とそんなにねんごろになってしまったら、新妻を迎え入れるどころではなくなるのではないか、と思うかもしれない。
ところがお構いなしに迎え入れる。
妻となる「アリス」は天真爛漫かつサバサバした性格で、レイナのことを敵視するどころか、家族同然に扱い、ゴーシュとの初夜でビビってしまった際も、とりあえずゴーシュとレイナがいたしているところを手本として見せてもらってからクリアするという、応用とパンチのきいた対応を見せている。
ただ、アリスのケツの穴が特別広大というわけではなく、おそらくこの世界ではそれがそこまで珍しいことではないのだろう。
その後、ゴーシュのことをひそかに思っていた男装の女執事「リア」も参戦し、ハーレムものになっていくのだが、現実で言えば妻とセフレが同居し、お手伝いさんにも手を出したというとんでもない状況である。
しかし、本作にはレイナがゴーシュになにかを説明し「そういうものなのか」「そういうものなのです」とやりとりする様子がたびたび描写されている。
つまり現実ではとんでもなくてもこの世界では「そういうもの」なのだ。
「そういうもの」は、世界、国、家庭、そして個人で違う、自分の「そういうもの」が普通であり、他所(よそ)でそうだと思い込んではいけない。
人権、女体の扱い方、そして「文化の違い」、さまざまなものがよくわかる学習エロ小説であった。
カレー沢薫
漫画家兼コラムニスト。2009年に『クレムリン』で漫画家デビュー。近年は切れ味するどいコラムでも人気。『ひとりでしにたい』『負ける技術』『生き恥ダイアリー』など著書多数。一日68時間(諸説あり)のツイッターチェックを欠かさない。
よくわかる奴隷少女との暮らし方(1)
著者:C/イラスト:Belko
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